自分が愛であればいい

ニール・ドナルド・ウォルシュ著「神とひとつになること」より…
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究極の現実とは、分裂は存在しないということだ。
何の分裂も、何からの分裂も存在しない。あるのは一体だけだ。あるのはただひとつだけだ。

あなたがたはお互いに離ればなれではないし、生命のどの部分とも離ればなれではない。
わたし(神)とも離ればなれではない。

分裂は存在しないから、不足もありえない。
存在するのはただひとつだから、それ自身で満ち足りている。

不足が存在しないから、要件も存在しない。
何の必要性もないなら、何かを獲得するための課題もありえない。

しなければならないことは何もないから、何かをしたかどうかと裁かれることもない。
裁きを受けないから、罪の宣告もされない。

決して罪の宣告を受けないのだから、愛が無条件であることがわかるだろう。

愛は無条件だから、神の王国では誰も何も、とくにすぐれてはいない。
ランクもなければ階級もなく、ひとよりとくに愛される者もいない。

愛は全的で完全な経験だ。少し愛するとか、たくさん愛するというのはありえない。

愛は測れない。愛する方法に違いはあっても、愛する量に違いはない。

このことをつねに覚えておきなさい。
・・・ 愛は測れない

愛は存在するかしないかであり、神の王国ではつねに存在する。
なぜなら神は愛の与え手ではなくて、愛そのものだから。

(中略)

ひとは自分がすでにもっているものを求めて、一生を過ごしている。
すでにもっているのに。なぜなら、当人がそのものなのだから。

愛を得るためには、自分が愛であればいい。



P147~149 より一部を抜粋して転載させていただきました。

神とひとつになること

ニール・ドナルド ウォルシュ / サンマーク出版


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by palty-yuria | 2010-08-11 09:22 | こころの奥深く